交流分析において,本物の感情(authentic feelings)は,
「喜び(glad),悲しみ(sad),怒り(mad),怯え(scared)」
の4種類しかないと考えるのが一般的です。
これらの4つの感情をそのまま表現することが出来れば,感情はストレートに相手に伝わるので「ミスコミュニケーション」を起こすことがありません。
また,
・「怒り」は「現在の問題を解決するため」
・「怯え(恐れ)」は「未来に予測される問題を解決するため」
・「悲しみ」は「過去の問題を解決するため」
の手段として適切に機能させることができます。
※「喜び」は「解決する問題がない」状態なので割愛
そして,その4つの「本物の感情」以外の感情は「代用感情」ということになるのですが,
多くの人は幼い頃に家族や属する集団の中で奨励されたり禁止されたりすることによって,特定の「本物の感情」を常に別の「代用感情」で置き換えてしまうことを習慣化してしまいます。この,「本物の感情」に置き換えられる「代用感情」のことを交流分析では「ラケット感情(racket
feelings)=ニセモノの感情」(racketとはペテンとか不正とかの意味)と呼びます。
例えば,幼い頃に「怒り」をストレートに表現することを禁じられ,「怒り」を感じた時に「泣く」(本来は「悲しみ」の表現)ことを習慣化してしまったり(女性に多いですよね),
「怯え(恐れ)」を表現することを奨励されない環境に育つことで,常に「ヘラヘラ笑い」(笑い自体は本来「喜び」の表現)を浮かべてしまうようになったり。。
かくいう私自身も,幼い頃に「男のくせに」とか「男なんだから」という言葉で「怯え(恐れ)」や「悲しみ」を素直に表現することを奨励されずに育ち,結果,この二つの「本物の感情」を常に「イライラ(不機嫌)」(本来は「怒り」の表現)という「ニセモノの感情」に置き換えてしまう傾向があります。※おそらく,「イラつく」ことで近寄りがたい雰囲気を醸し出し,「本物の感情」を気づかせないようにしてきた(欲しくないストロークを拒絶してきた)んだと思います
この「ニセモノの感情」,
幼い頃から繰り返し身につけた習慣ですので,矯正するのは並大抵のことではありません。
また,もともとが
「ニセモノの感情」に置き換えることで「本物の感情」を表現することで得られなかった「欲しいストローク」を獲得する
ことを可能にし,その経験を繰り返して習慣化するものなので,人はストレス下に置かれるとその「ニセモノの感情」(ラケット感情)を自ら求めるような行動(ラケット行動)をとるようになってしまいます。
ここで問題になるのは,「ニセモノの感情」には「本物の感情」のような「問題解決機能」がありませんので,いくら「ニセモノの感情」を表現しても,そのストレスの元となっている「問題の解決」には何一つ役立たないということです。
「ニセモノの感情」自体が悪いワケではありません。それは,各個人がより「欲しいストローク」をもらうために学習した一つの「よりよく生きるための戦略」です。
しかし,その「ニセモノの感情」が覆い隠している本来の「本物の感情」に自分で気づくことが出来ていないと,「強いストレス」を感じたときに「問題を解決」することが出来ません。
どうです?あなたはどんな「ニセモノの感情」を普段使ってますか?その「ニセモノの感情」に隠された「本物の感情」に気づいていますか?